1月15日から17日まで、総務常任委員会の視察があり、委員として参加しました。視察内容の抜粋は次の通りです。
1.まちづくりファシリテーター養成講座について(石垣市)
石垣市を視察をしました。石垣市では、市民協働のまちづくりを進める上で、協働のまちづくりをするためには、行政と市民が一体となっで取り組む必要があり、そのための人材育成・場づくりとして、「まちづくりファシリテーター養成講座」を開催しているとの事でした。
ファシリテーターとは、会議や説明会等の場において、参加者の意見や流れを整理する進行役のことです。その養成講座を7回開催して、34人に認定書を交付したとの事でした。そして、市民と行政が課題解決に向けて、役割と責任を担いながら相互に協力し合う場として、「いしがき市民協働サロン」を開催して、協働のまちづくりを進めていくとの事でした。
7回目の養成講座では、市民協働サロンの模擬サロン「笑顔あふれる町ってどんなまち?~楽しく考えよう~」を実施したところ、172個のアイデアが出され、最後に1人3票で投票した結果、1位から5位は、次の通りとなったとの事です。
1位 市役所の駐車場を使って、屋外映画まつり!
2位 店舗アイデアコンテストを実施して、賞として店舗を安く貸す
3位 ゆるキャラ!~よいどれマーメイド~
4位 ライトアップ&ライトダウン
5位 特殊Barの街 もっとディープに(ガンダムBar、アイドルBar、お笑いBar、などなど)
5位 市役所正門前の空間を、子どもが遊べる場所にして、昼も笑顔の美崎町にしよう
現在は、サロンの本格実施について、具体的なスケジュールはないとの事でしたが、ファシリテーターが、さまざまな場において、活躍をしているとの事でした。
この視察で有意義だと感じた点ですが、一つは、模擬サロンでのルールです。ルールは3つで、①自分ばかり話をしない! ②他人の話は否定しない! ③楽しい雰囲気を大切にする! この3つのルールのもと、模擬サロンでは、参加者が笑顔で楽しく、まちのことについて、意見を出し合うことができたそうです。このようなルールを、議会報告会でつくってみてはと思いました。議会報告会では、参加者のうち、長く、何回も発言をする方、批判や文句を言う人も見受けられます。そのことで、報告会の雰囲気も悪くなり、発言できない人もいると考えられます。来年度の議会報告会については、改めて検討をしているところですが、この視察した内容を参考にして、進めていきたいと思います。
2.上がり太陽(あがりてぃーだ)プラン事業について(南城市)
南城市を視察しました。上がり太陽(あがりてぃーだ)プラン事業とは、自治会やNPO、ボランティアなどの団体から、提案事業を募集し、優秀な提案事業を行う団体に対して、事業にかかる経費の1部または全部を助成金として交付するものです。
藤沢市でも、公益的市民活動の助成事業を平成18年度から行っていますが、南城市の特徴は、提案事業の公開プレゼンテーションを受けて審査し、採択するのが、市内にある5つの中学校の代表生徒5人で行うことです。これには、正直驚きました。しかし、考えてみれば、将来の南城市を担っていく子どもたちが、しがらみなどに捉われないで、審査することは、とても良い発想だと思います。実際に、効果としては、審査員として参加した中学生が、地域の事について、主体的に考え、地域活動に積極的に参加するようになったとのことです。
一方、課題としては、採択後の市としてのフォローが必要。事業の内容より、プレゼンの良し悪しで採択される場合がある。提案団体の固定化などがあるとの事です。自治会、市民団体などが、プレゼンと中学生が審査することにより、中学生の地域での関わりが深くなっているとの事です。中学生の時に、地域のまちづくりに関われば、鈴木市長の言う、郷土愛も当然生まれるわけであり、大人になったときも、きっと地域での積極的な活動が期待されます。同様な形でなくても、藤沢市でも、子どもが将来にわたり郷土愛を持てるような取り組みができないか、更に検討する必要もあると感じました。
3.沖縄陸軍病院南風原壕群について
南風原町の沖縄陸軍病院南風原壕群を視察しました。南風原は、沖縄戦で、当時の人口8,020人のうち、41.7%にのぼる3,345人が亡くなったそうであります。1944年になると、第32軍(南西諸島守備軍)が沖縄に配備され、南風原は兵站基地として位置付けられ、軍事的な拠点とされたそうです。
沖縄陸軍病院は、1944年10月10日に、米軍の空襲を受けて、横穴壕の構築が始まり、1945年3月下旬、米軍の艦砲射撃が始まったため、陸軍病院は30数本の壕へと移動。軍医・看護婦・衛生兵など約350人に加えて、女学校生徒222人が教師18人に引率され、看護補助要員として動員された。戦後、生徒たちは「ひめゆり学徒隊」と呼ばれることになる。
1990年、戦争の悲惨さを伝える証として、南風原町は沖縄陸軍病院第一外科壕群・第二外科壕群を文化財に指定した。第二次世界大戦の戦跡を文化財に指定したのは、全国で最初であったそうです。
実際に、当時の壕に入りましたが、つるはしで掘った人口の壕で、狭く、ライトを消せば1m先も見えない状況でした。この中に、木材でつくった2段ベッドが設置され、上段には起き上がれないような重症患者が置かれ、糞尿も垂れ流しの状態であったと説明を受けました。壕の中は、糞尿、体臭、血や膿などの臭いがまざり、とても耐えられるものではなかったと言います。しかし、外に出れば殺される、そのような状況であったとのことでした。
写真は、壕入口にある説明文と憲法九条の碑
以上、総務常任委員会視察の報告とします。