7月21日 9:30より、藤沢公民館の分館である、済美館で、「藤沢地区郷土づくり推進会議」の推進部会の高野さんより、「藤沢宿」を学ぶというテーマで、レクチャーをいただき、その後、藤沢宿に関する場所を歩いてまわりました。
旧藤沢宿の地区については、まちなみ百年条例のまちなみ継承地区に指定されました。まちなみを将来に継承していくことについて、議会の中でも議論がされてきましたが、私も含めて多くの議員が、ふじさわ宿の歴史や地域の方々の取り組みや思いについて、十分に理解している状況ではありません。そこで、推進部会の方々に呼びかけて、レクチャーをいただくことになったわけです。今回参加した議員は、かわせみクラブから、柳田議員・竹村議員・脇議員・永井議員・清水議員と私、そして、原田議員と西議員です。
藤沢宿は、慶長元年(1596年)に御殿・代官屋敷が設置され、藤沢宿は6番目の宿駅となり、寛永11年(1634年)に御殿が廃止、参勤交代制度が導入され、本陣(大名の宿泊施設)が設置された。明治時代に入り、本陣が廃止。そして明治4年には、現在の本町郵便局のところに藤沢郵便局が、明治5年には、現在の消防本町出張所のところに藤沢警察署が設置された。更に、大正5年には、現在の藤沢公民館のところに藤沢町役場が設置され、昭和15年に市制がひかれ、そのまま藤沢市役所となったとのことです。多くの市民は、今の藤沢公民館に市役所があり、まちの中心として栄えていたことなど知らないのではないかと思いました。
このような歴史的経過から、旧藤沢宿周辺は、宿場町として栄え、その後も官庁街として反映したのち、昭和26年に、市役所が現在の朝日町に移ったことをにより、まちとして衰退していったと説明を受けました。だからこそ、宿場町として栄えた場所だったということを歴史や東海道マニアが訪れるのではなく、広く多くの人々に知ってもらいたいという思いで、トランスボックスへのラッピングや各種マップの作成などの取り組みを展開しているとのことでした。
推進会議の皆さんからは、推進会議として行ってきた、藤沢宿の歴史を未来に継承していく取り組みのあるなかで、市が行う事業、例えば、整備する「ふじさわ宿交流館」について、どのような事業展開をしていくのか、推進会議のメンバーとまったく意見交換がないまま進んでいると指摘を受けました。目的は同じなのですから、協働して取り組むべきだと思いますし、議会からたびたび指摘されている、地域や地域団体との十分な意見交換について、しっかりとしてほしいと思いました。
写真は、レクチャーの様子、見学した名所など。そして、まち歩きのあとに食べたラーメン(^_^) 江戸時代に旅籠であって、現在ラーメン屋の「小松屋」は定休日だったため、近くに新しくできた鶏白湯のラーメン屋さんにしました。