2017.7.21 日本大学校友会神奈川県支部 平成29年度定例総会

 7月21日 17:30より、日本大学校友会神奈川県支部の平成29年度定例総会が、横浜のローズホテルで開催され、会員として出席しました。定例総会では、行事報告、決算・監査報告、行事予定、予算が全体で承認されました。
 総会後の講演では、日大藤沢高校からプロ野球選手となった、「山本昌」元中日ドラゴンズ投手(現プロ野球解説者)から、子どもの頃からプロ野球選手時代でのエピソードなど、興味深い話を面白く聞くことが出来ました。

 話によれば、小中学校時代は、野球部でも補欠選手だったが、中学3年生の時のピッチングをきっかけに、日大藤沢高校から声がかかり、日大藤沢へ。横浜商業高校との試合で大敗し、Y校に勝たなければ甲子園には行けない、先輩からの誘いで、毎日ランニングを6km、週に1回の200球の投げ込みを継続し鍛えたとのことでした。結果は、Y校に惜敗、ベスト8止まり。高校3年のドラフトで中日から5位指名されるも、日大への進学が決まっており、悩んだ結果、監督からの「お前ならプロでも出来る」という言葉でプロ野球選手に。卒業前の2月に中日の練習に参加したところ、小松投手や牛島投手などが、ピッチング練習をしていて、その球に驚き、ひざの震えがとまらなかったという(こんな球は私には投げられない)。

 4年間は2軍で結果が出せず、野球を辞めることも考えていた時、星野監督から1軍のキャンプ(アメリカ)への誘いがあったが、そのまま秋までアメリカで交換留学だと言われ、呆然としていたとのこと。ドジャースの4軍で敗戦処理をしていたところ、ある変化球を身につけた。それがスクリューボール。敗戦投手から、先発投手に。やれる実感がわいた頃、日本では中日が優勝争いをしていたが、投手がケガで離脱したため、星野監督から電話で「戻ってこい」と。もっとアメリカで気持ちよくやりたかったが、星野監督には逆らえない。帰国し、身につけたスクリューボールで活躍、5年目にして、初勝利をあげることとなった。山本氏は、人生の中で、いくつかの転機があり、そのたびに人との出会いがあったと。そして、私が聞いていて、一言で表現するなら、「継続は力なり」でした。手首を鍛えるために、高校生の頃、藤沢のスポーツ店で買ったダンベルは今でも家にあるとのことでした。

 実は、山本氏と私は同じ年で、出身も茅ヶ崎市で同じなのです。私も少年野球をやっていましたので、もしかしたら試合で顔を合わせていたかも知れません。星野監督がテレビで、怒ってイスを蹴ったりする場面が映されますが、あれは「氷山の一角です」と言ったときは、会場は爆笑。とても楽しい講演会となりました。

 写真は、講演をする山本氏、主催者挨拶をする、門倉支部長、来賓挨拶をする、大塚日本大学学長。


おおや徹

藤沢市のためにがんばります!

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